ランドスケープ6大学展から
7大学展へ

6年の経緯と物語

京都造形芸術大学 教授
佐々木 葉二

関西の6つの大学が毎年集まって作品展を始めてから6年がたちました。

2001年に1回展が始まり、4回展からは京都市内の小学校跡地を使うという市民参加型の展覧会へと発展し、大きく新聞メディアでもとりあげられるようにもなりました。

また2006年から7大学展と名称を替えて更に大きく発展し、現在は大阪芸術大学、大阪府立大学、京都造形芸術大学、神戸芸術工科大学、滋賀県立大学、奈良女子大学、立命館大学『50音順』で構成されています。

6年たつと、もう各大学には初期の展覧会を立ち上げた学生達も卒業し、当時のさまざまな活動も過去の伝説となりつつあります。

そこで節目となったこの機会に出発以来の6年間を振り返りながら、その経緯とこれまで語られなかった成立ストーリーを紹介したいと思います。

1.ランドスケープ系大学・学生設計展が
めざしたもの

関西の6つの大学が毎年集まって作品展を始めてから6年がたちました。2001年に1回展が始まり、4回展からは京都市内の小学校跡地を使うという市民参加型の展覧会へと発展し、大きく新聞メディアでもとりあげられるようにもなりました。また2006年から7大学展と名称を替えて更に大きく発展し、現在は大阪芸術大学、大阪府立大学、京都造形芸術大学、神戸芸術工科大学、滋賀県立大学、奈良女子大学、立命館大学『50音順』で構成されています。

6年たつと、もう各大学には初期の展覧会を立ち上げた学生達も卒業し、当時のさまざまな活動も過去の伝説となりつつあります。そこで節目となったこの機会に出発以来の6年間を振り返りながら、その経緯とこれまで語られなかった成立ストーリーを紹介したいと思います。この展覧会の経緯について私は日本造園学会誌のランドスケープ研究2005年度1月号(VOL.68 NO3)に、それまでの4年間を振り返って書いた文章をすでに発表していますので、今回はそれをベースに新しく加筆して詳しく紹介したいと思います。

最初に、この展覧会発足を呼びかけ、各大学の先生方や学生達と一緒に立ち上げた目的は3つでした。

の3点です。

第1の「大学の壁の開放」とは、これまで関西の各大学がユニークなランドスケープ教育体系を持ちながら互いにデザイン面での情報交換や交流がなかったため、各大学が自らの壁を取り払い、学生たちにとって重要な課題である「ランドスケープデザインの思想や本質がどこにあるのか・・」という共通の問いに対し、同じ土俵で論じ合える機会をつくるところにあります。

第2の「共有できる感動の体験」とは、ランドスケープデザインの魅力と感動を学生一人一人が自らの胸に届かせるきっかけを持つことです。当然、各大学内での作品発表会でそのような体験の場はあると思います。しかし、異なった立地環境と教育方針のもとで育ったランドスケープ系学生たちが、それぞれ直面している環境課題を設定してその解決策を互いに提案し、自分の大学以外の第三者からの批評に向き合うことは、これまでの馴れ合いがちな日常から離脱して自分自身が日常見過ごしている「問い」に気づかされるきっかけになります。

つまり、「問い」に向き合うことがデザインを生み出す原動力となり、さらに同じ世代の仲間が表現しようと格闘しているデザインの律動の中に共有できる感動が見つかります。

日常の中で、ともすれば見えなくなりがちなデザインの醍醐味をこのように一人一人が発見できる機会を手にできるなら、それは学生達にとってかけがえのない精神の宝物となるでしょう。

最後の「社会的メッセージを発信できる展覧会の確立」とは、明快なランドスケープからのメッセージを含んだ一般公開の展覧会を開くことによって、学生のみならず教員も含めてもっと身の回りのもの、ひいては変動する時代というリアルな課題に向き合い、その解決者たるランドスケープアーキテクトの責任と役割を社会的に認知させる、という目的でした。

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2.展覧会の経緯

数ヶ月の準備期間を経て、関西のランドスケープ系学部、学科をもつ大学の教員・学生たちが集まり、第一回の展覧会を京都で開いたのは2001年の秋でした。当時の参加大学は、大阪芸術大学、大阪府立大学、京都大学、京都造形芸術大学、神戸芸術工科大学、滋賀県立大学(50音順)の6大学でした。発足当時から、この展覧会は必ずしも関西にとどまらず、賛同してもらえるなら全国どこからでも入ってもらおうとの共通認識がありました。それが、展覧会名にあえて「関西」をつけなかった理由です。この精神は今も受け継がれ、現在は京都大学の替わりに奈良女子大学、立命館大学が入った7大学展と規模も大きくなっています。今後も会場が許す限り、希望大学を喜んで受け入れたいものです。

展覧会内容は、各大学から選抜された5作品、計30作品を一堂に集め、それらをパネル、模型、映像などによってプレゼンテーションし、最終日に全体講評会を開く、という日程でした。展覧会運営については、当初は各大学の教員が企画から展示場所の設定にいたるまでリードしていましたが、回を重ねて経験を積むことによって、学生たちの手に運営がゆだねられ、第4回からは、学生実行委員会が中心的役割を担うようになりました。

a.なぜ「元立誠小学校か」

当初、これらの活動の中で最も困ったのは、展覧会場の場所の選択でした。展覧会は民間のギャラリーにすると経費が高くつくため、公的施設で無料を条件としました。しかし、必要壁面を持ち、より社会とつながる展覧会にしたいという学生からの希望で、一般市民も見に来やすい交通至便な展覧会場は、関西中探してもなかなか見つかりませんでした。

そのころ、京都市内で廃校になった元立誠(りっせい)小学校に可能性があるという情報が入ったのです。京都市は都心部の児童数が減り、小学校が統廃合され立誠小学校が閉鎖されたのは1993年。跡地の再利用について京都市は、「都市観光の拠点となる施設」として活用していく基本方針を打ち出していました。

ただ、この「都市観光拠点施設」なるものが、具体的にどのような施設になるのかは当時まったくの白紙状態でした。そこで、京都市担当部局や地元の立誠自治連合会の会長に展覧会の主旨をお伝えして会場としての利用についてお願いに行きました。当初市側は「市の施設であるため、市の主催が条件」として了解は困難な状態でした。

しかし、立誠自治連合会の方々の協力も得て何度か市に足を運び、再度協議していただいた結果、毎年元立誠小学校で自治連合会などが共催している「まなびや」活動の一環として参加し、主催者である「まなびや」実行委員会が了解するなら受け入れるとの返事を遂に頂いたのです。

b.「まなびや」とは

「まなびや」とは地元住民、市民団体、学生ボランティアなどの共同ワークで木屋町・高瀬川界隈の将来在るべき姿を見つめ直し、その将来の在り方を示唆することを狙いとして元立誠小学校を2日間蘇らせる年に一度のイベントです。

「まなびや」実行委員会の方々からは、「学生達がこの地域に来てくれるのは大歓迎。しかし、小学校が立地する木屋町全体は、廃校後風俗店出店など環境悪化が進んだため、まちづくりとしてどのようなビジョンを描くのかが悩みであり、最大の課題となっている。このため、展覧会活動以外に地域文化を共有するまなびやのボランティア活動にも参加してほしい」との依頼がありました。早速、展覧会の学生実行委員会に伝えると「それこそ協力しよう!」との声。 このため地元市民と一緒になって夏の冷たい高瀬川に入っての川清掃やその夜の灯篭流し、小学校を使った2日間のイベントへ参加など、展覧会前のボランティア活動も各大学の学生たちにとって重要な活動に組み込まれるようになったわけです。

もちろんこのように本来の展覧会準備以外の社会的活動が加わることは、展覧会活動に新しい負担が加わる可能性があります。ここで重要なことは、わたしたちにとってそのボランティア活動が本来目指しているランドスケープ7大学展の趣旨に沿っていること、また学生たちに過度な負担がない範囲での協力が条件であることが共通認識でなければなりません。

これらは、その後の学生も入った展覧会準備委員会で何度も討論され確認されました。しかし、思いがけないことにその後の経緯をみると、このようなボランティア活動への参加は、互いに距離も離れ、コミュニケーションがなかった学生達の間にきわめて積極的な協力体制をつくる基盤になっていったことです。

また、これらの準備と打ち合わせのため、近くのお寺で夏の夜、数回開かれる「まなびや」実行委員会の会議にも教員や学生実行委員会の代表も参加することになりました。この京都のお寺を借りた夜の会議への参加は、回数を重ねるごとに学生代表たちと地元のボランティアのかたがたと気心が通じ合えるようになり、その結果、信頼関係も生まれるきっかけとなりました。また学生たちも木屋町周辺の街づくりの問題点への理解が深まり、さらにその後のスムーズな展覧会運営に大きなメリットを生んでいったのです。

しかし、なにより、地元のかたがたとの信頼関係が生まれるのは、実際の展覧会期間を通じて展覧会運営と厳しい学校管理をキチンと受け止めて実行した学生実行委員会メンバーの汗と誠実な活動の積み重ねでした。これは毎回、地元自治連や実行委員会、さらに元立誠小学校の管理者のかたがたから高い評価をいただいています。

表は、これまでの展覧会経緯の概要を整理したものです。

名称 学生企画テーマ 場所 日程
ランドスケープ6大学展001 身体感覚からとらえる
風景と自然
京都芸術センター 2001.11/26 ~ 12/6
ランドスケープ6大学展002 あなたの居場所は
ありますか
ハービスOSAKA 2002. 9/23 ~ 10/2
ランドスケープ6大学展003 直感ラジオ応答セヨ 京都芸術センター 2003.11/6 ~ 11/11
ランドスケープ6大学展004 木屋町ガリバー 元 立誠小学校 2004.10/23 ~ 10/31
ランドスケープ6大学展005 少年よ大地を描け 元 立誠小学校 2005.10/24 ~ 10/30
ランドスケープ7大学展006 風景の発信 元 立誠小学校 2006.10/22 ~ 10/29

表記の「学生企画」テーマとは、その年毎に学生たちが作品展示以外に独自にテーマを設定する共同ワークショップのことです。これは、展覧会におとづれた学生や市民も参加できる企画を目指していました。この「学生企画」実現のために京都、滋賀、奈良、神戸、大阪の各大学をめぐって学生同士が行うフィールドワークは、なにより異なる環境で学生生活を送る学生同士がその物理的距離と隔たりを越えて話し合いの機会を生みだす楽しいイベントとなり、新鮮な共有感覚を得る最大の契機にもなっています。

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3.7大学展の価値と魅力

この6年間の出品作品を振り返った特徴は、

などが上げられます。年々図面表現にハンドドローイングが少なくなり、CAD図面やCG画像処理技術が格段に向上して非物質的なデジタル・イメージによるパネル表現が中心となってきているのも現在の局面です。初期展覧会時はランドスケープ模型の精度にも大学間に大きな差がありましたが、今では大学間のプレゼンテーション力の差がなくなってきています。

ただ設計対象に対するデザイン・テーマの選択方法については、大学の立地環境による差が明確に現れています。郊外都市から近代都市、歴史都市、港湾都市など関西特有の個性ある文化環境を反映して提案される設計の対象領域は、公園や都市広場、街路のみならず、教育施設、高齢者施設、住環境、歴史や遺跡環境、ウオーターフロント、ブラウンフィールドと呼ばれる工業や処理施設跡、鉄道用地、さらに駅前再開発、商業環境など広範囲に広がっていますが、共通の対象領域は毎年でてきています。

ところが興味深いことに同じ領域を取り上げても、地域文化風土の深層構造の読み込み方法が異なるのです。同じウオーターフロントでも琵琶湖では風や光、音、眺望ビスタと人との関わりを再発見する試みとなり、淀川では自然生態系が、大阪市内河川では倉庫、工場群との関わりが、神戸港では旧居留地があった街並み景観との関わりに焦点が置かれる。奈良や大阪の歴史地区では、信仰対象として心象風景となっている山や古墳、棚田の大きな自然が、京都の歴史地区では、京町家や露地がもつヒューマンスケールな自然や社会との関わりが追求されるという次第です。その結果、たがいに全く異なったデザイン解決に至るという多様性がが見られることになります。もちろん、これら場所のもつ状況や特性とはかかわりなく、環境アートとしての造形作品も常にデザイン言語ゲームのように現れてきます。

これらから、表現技術のレベルアップは学生がツールを理解すればすぐに達成できますが、土地のコンテクスト(文脈)の読み込みには標準解や基準はなく、そこにこそ、個性あふれるランドスケープ・デザインが生み出される源泉があるということがよくわかります。

ランドスケープ・デザインは、何もないところに新しいものを造るのではなく、「既存の土地の環境状況から出発して新たな状況を生み出すこと」にあります。そのためにはその土地が持つポテンシャル(自然、社会的文脈、時間)を最大限引き出せるデザイン行為が重要な意味を持ちます。7大学展の存在の大きな価値は、こうした努力を試みている他者のデザイン行為を比較し、その差を議論して相対化して見ることができ、そこから多元的な価値を発見できるところにあるのでしょう。

そこに表現者として立つ「自分はどうなんだ」との「問い」と向き合うことができる刺激的な舞台があるのです。

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4.おわりに

ランドスケープ 7大学展に選抜された学生たちや企画運営を支えた学生実行委員は、講評会後に美しい表彰状を手渡されます。数少ないこの賞状を手にすることは学生にとっての輝かしいキャリアとなるでしょう。それをめざす挑戦者であるとともに、なによりも次代のランドスケープアーキテクトを目指す情熱のある若者たちがこの展覧会を通じて数多く出てくることを今後も期待したいと思います。

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